人文地理学と環境老年学──なぜ英語圏地理学において高齢者に関する研究が低迷しているのか?──
梶田 真
東京大学大学院総合文化研究科
英語圏人文地理学における高齢者研究は1980年代後半以降,停滞している.その理由は,高齢者に対する関心を持った地理学者が,その主たる成果の公刊や議論の場を社会老年学,特に環境老年学の分野に移していったことにある.本稿は,人文地理学と社会老年学,特に環境老年学の関係に焦点を当て,その理由を考察した.本稿の知見は,研究環境の違いに加えて,現在の英語圏地理学が抱えている,応用研究を志向する研究者にとっての「居心地の悪さ」にも原因があることを示唆する.
キーワード:人文地理学,社会老年学,環境老年学,応用研究,相互交流・相互浸透主義
(地理学評論 90-3 191-214 2017)
ネパール・テライ低地における住宅の温熱環境
松本 太*・中村圭三**
*敬愛大学非常勤講師,**敬愛大学国際学部
ネパール南部における住宅の温熱環境の季節的な特徴を明らかにすることを目的として,屋根素材が異なる3住宅で気象観測を行なった.その結果,以下の知見を得た.①非モンスーン季には,日の出以降気温が急激に上昇し,モンスーン季よりも日較差が大きい.晴天日の日中においては,屋根素材のタイプによって屋根面温度の違いが明確に現れた.室温は,日中にはトタン屋根,夜間にはコンクリート屋根の住宅で最も高い.以上の結果から,室温形成に屋根素材の熱的性質が関与していることが検証された.②モンスーン季では,降水や高湿度の影響により,気温の日較差が小さい.日中においては,保水による昇温抑制効果が強いカワラ屋根と保水不可能なトタン屋根との温度差を反映し,室温は,トタン屋根の住宅で最も高く,カワラ屋根の住宅で最も低くなったと考察された.以上のことから,降水が室温に対し強く影響を及ぼしていることが明らかになった.
キーワード:ネパール,テライ低地,モンスーン,室温,屋根面温度
(地理学評論 90-3 215-229 2017)
バッファ重心法による手描き地図の分析
平林裕規
愛知淑徳中学校高等学校
本研究では,手描き地図における描画の詳しさの部分的な違いに着目した新たな分析手法であるバッファ重心法を提案する.実際に,愛知県名古屋市東区に位置する東海中学・高校の在校生(中学3年生~高校3年生)を調査対象とした手描き地図調査を通してその有効性を検討する.手描き地図の分析手法の一つにバッファ法がある.一般に手描き地図では,詳しく描いてある部分とそうでない部分がある.バッファ法にはこの局所的差異をとらえられないという課題があった.空間認知における認知度の局所的差異は重要なテーマであり,その中でもアンカーポイント仮説などの理論が提唱されてきた.そこで,バッファ重心法を提案し,これを実際に適用することで認知地図の局所的差異の客観的な分析において一定の成果を得た.ここで提案するバッファ重心法は空間認知の局所的差異に関わる,今後の空間認知研究に貢献することができる.
キーワード:手描き地図,GIS,重心,バッファ重心法,道路網
(地理学評論 90-3 230-240 2017)
深谷ねぎ産地におけるブランド化対応と課題
児玉恵理
筑波大学大学院
本稿は,深谷市を事例に,各主体による深谷ねぎのブランド化への対応を踏まえて,その課題を考察することを目的とする.深谷市では深谷ねぎの産地偽装を契機として,2002年以降,行政とJAが積極的にブランド化への動きを開始した.しかし,深谷ねぎ産地において産地市場が複数存在していることなどから統一的なブランド規格を設定することが難しくなっている.市町村およびJAの合併に伴い,深谷市の北部と南部とでは自然条件や社会経済条件に違いがあることから,ねぎ生産をめぐってこれら地域間には生産者の意識に温度差が見られる.深谷市のねぎ栽培は,地形の異なる地域にまたがって存在しているために,深谷ねぎのブランド化が滞る要因になっている.深谷ねぎのブランド化は,行政と一部の産地市場による地域振興を目的とした地域ブランド化と,周年栽培とJA外出荷を行う商業的農家による個人ブランド化の二つの方向で進んでいるのが現状である.
キーワード:深谷市,深谷ねぎ,ブランド化,近郊農業,合併
(地理学評論 90-3 241-256 2017)
トカラ列島諏訪之瀬島における農業基盤としての土壌の特性
茗荷 傑*・橋本恵祐**・亀井宏行***・渡邊眞紀子*
*首都大学東京 首都大学東京,**元首都大学東京都市環境学部地理環境コース,***東京工業大学博物館
諏訪之瀬島における今日の農業土地利用を支える土壌の特性を明らかにすることを目的として,農耕地,放牧地,林地および1813年噴出のスコリア層下の埋没土層の土壌分析を行った.対象とした土壌は「火山放出物未熟土」と一部「未熟黒ボク土」に分類された.土壌分析の結果,農業にとって不適な土地ではないことが明らかとなったが,現在も噴火活動による降灰が続くため,諏訪之瀬島の土壌が黒ボク土へと成熟していくことは期待しにくい.露頭の埋没A層の特性は,土つくり実験地,ミカン栽培地,および斜面の崖下にある竹林の土壌特性に類似していた.緑肥の投入など人間による積極的な干渉が強い土壌ほど地力が高いことが示された.埋没A層は1813年の無人島化以前の農業生産活動を支えた土壌であり,諏訪之瀬島の資源であるといえる.今日の農業基盤拡大にあたり,過去の土壌資源を活用することが効果的であると考えられる.
キーワード:諏訪之瀬島,土壌分類,地力,農業土地利用
(地理学評論 90-3 257-270 2017)