2018年度日本地理学会賞受賞者 - 日本地理学会
2018年度日本地理学会賞受賞者
優秀論文部門
福井幸太郎 会員
「飛騨山脈で新たに見出された現存氷河とその特性」地理学評論、第91巻第1号
本研究は,飛騨山脈北部における複数の多年性雪渓において氷厚と流動の現地観測を行い,多面的な観点から氷河の可能性を検討した論文である.従来氷体の存在は指摘されていたものの,筆者らは流動速度の実測値が得られていなかった多年性雪渓について有意な流動量を観測し,飛騨山脈内に氷河が現存することを明らかにしている.フィールドアプローチの極めて困難な場所において,気候条件や氷河の流動モデル,雪渓上流部と末端部の測量による質量収支,地中レーダーを用いた氷河の内部構造,空中写真やUAVによる氷体面積の変化などに基づき,その内部構造や流動プロセス等を詳細かつ多面的に論述し,国内で初めて氷河の存在を明確に指摘した論文のひとつとして,その内容は非常に高く評価される.本研究の成果は地理学界からの新発見として大きな意義があるだけでなく,社会に向けての訴求力を有しており,地理学のアウトリーチにも貢献している.
池田真利子 会員
「ジェントリフィケーションの過程からみた文化・消費の役割──旧西ベルリン市ノイケルン区ロイター街区を事例として──」地理学評論,第91巻第4号
本研究は,ドイツ語圏既往研究における指標モデルを援用することで,旧西ベルリン市インナーシティの一街区におけるジェントリフィケーションの複合的過程を明らかにした論文である.ジェントリフィケーションの過程をめぐっては多くの議論が積み重ねられてきたが,それらの先行研究を丁寧にレビューしたうえで,ジェントリフィケーション指標モデルを援用しつつ,対象街区での聞き取りおよび現地調査を通じた詳細なデータをもとに,長期間にわたる街区の変容過程を捉えた点が評価できる.国内の既存研究では,ジェントリフィケーションの人口動態・社会集団的特徴に注意が向けられてきた反面,詳細な過程は看過されてきたことに鑑み,本研究が消費・ライフスタイルに着目し,都市のアクターによって創出・変容される都市空間を明らかにしたことは,ジェントリフィケーション研究の深化につながったといえるだろう.詳細な実地調査に基づき,文化,消費,ライフスタイルに着目した質的変遷を明らかにした本論文は,ドイツおよび欧州諸都市の都市変容を理解する上で非常に高く評価される.
若手奨励部門
申 知燕 会員
「ニューヨーク大都市圏における韓人のトランスナショナルな移住――居住地選択およびコリアタウンとの関係を中心に──」地理学評論,第91巻第1号
本研究は,ニューヨーク大都市圏における複数のコリアタウンを事例に,グローバルシティにおけるトランスナショナルな移住者の登場と,彼ら独特の移住行動を明らかにした論文である.グローバル化とともに国際移住が活発化した韓国系移住者を,韓人の海外旅行自由化が実施された1989年を境に新旧の2期に分割し,その生活上の特徴やコリアンタウンとの関わり,新たなコリアンタウンの形成などについて,現地での丹念な聞き取り調査の結果を踏まえて具体的に明らかにした点で,優れた論攷である.新興国の経済成長段階が移住者集団の性格を変化させ,グローバルシティの都市空間がその移住者集団によって変化していることを明示した点は,グローバル化を地理的に理解するための基盤のひとつとなる貴重な研究成果である.
論文発信部門
杉江あい 会員
「バングラデシュにおけるロヒンギャ難民支援の現状と課題」E-journal GEO 第13巻第1号
本研究は,ミャンマー国軍による弾圧を逃れてバングラデシュに流入したロヒンギャ難民支援の実態について,バングラデシュ政府,諸国際機関やNGOによる支援と諸課題を踏まえて,地理学的視点からの実地調査により論じたものである.ロヒンギャ難民のバングラデシュへの流入が発生して5カ月目という時期に,難民にあふれ物資の供給が追いつかないキャンプでの調査は危険や困難を伴うものであったと想像されるが,われわれが既存の報道機関から受け取る現地情報に限界がある中,筆者による地域住民や難民に対する学術的な調査は大きな意味をもつ.特に支援格差の理解において,キャンプの地理学的条件の差異が重要である点を具体的に指摘することに成功した結果は,緊急性,速報性のあるこの種の問題に対する地理学からの発信に大きく貢献したものと評される.
優秀著作部門
加藤和暢 会員
『経済地理学再考――経済循環の「空間的組織化」論による統合――』(ミネルヴァ書房,2018年)
本書は,経済学の観点からの分析と地理学の知見に依拠した考察を重視する学統とを統一する可能性を模索するものである.Karl Polanyiの市場と社会との「二重運動」論に依拠しつつ,地理的現実の大転換の論理探索に挑もうとするものであって,序章・終章を含む12の章にくわえて初期論稿2編と附論解題などから構成される大作となっている.経済地理学が未熟な学問とされ,あるいは「地域構造論」が未完であるとされる状況において,経済地理学の対象と方法とを整理し,社会科学における経済地理学の立ち位置を確定しようとする著者の試みは,宇野弘蔵の「三段階論」(原理論・段階論・現状分析)に裏打ちされた社会科学方法論を強く意識したものであり,方法論・論理・実証的空間分析を三位一体として取り扱うべき,経済地理学の方向性を指し示している.本書は,経済地理学が進むべき道筋を俯瞰するための海図に例えることができ,畢竟の学術書として高く評価できる.
著作発信部門
岩田修二 会員
『統合自然地理学』(東京大学出版会,2018年)
本書は,大学の学部における自然地理学系の授業向け教科書・参考書としての活用を想定して刊行されたものであるが,書名冒頭に「統合」の文字があるように,従来型の領域別記述にこだわらない,シームレスな自然地理学的知識の伝授に重点を置いたものである.15章からなる構成は,15回分の授業に対応するものであり,早稲田大学での著者自身の授業実績に基づいて精査された内容となっている.入門者向けとはいえ,本書が取り上げている項目は,数十年来の重要事項から近年の研究成果にまで至っている.くわえて,理論や学説のほか,著者自身のフィールドワークの成果(手描きの図も含む)が盛り込まれていて,新旧の研究課題に目配りされた優れた体系性を有している.本書のカバーには,Alexander von Humboldtの南米探検の成果としてのアンデス山脈北部の山岳植生に関する図版が掲載されているが,Humboldtが畏敬の念を持ちつつも科学的対象としてNaturgemäldeを捉えた,その態度に著者・岩田の「統合」的な視点は重なっていよう.自然地理学においては本質的でありながら,実際の教科書等では弱かった「統合」的視点から執筆された先駆的な著作として,本書の有する意義は大きい.なお本書とほぼ同時期に,統合自然地理学の研究事例を豊富に含む関連書籍も出版されている(統合自然地理学研究会 岩田修二責任編集『実践 統合自然地理学――あたらしい地域自然のとらえ方――』(古今書院,2018年)).これを読むと,本書の精神が著者の関係した若い研究者達に多大な影響を与え,継承されてきたことがうかがえる.このことからもわかるように,本書が自然地理学に関心を有する学生や若手研究者の目に広くふれることは,今後の自然地理学の方向性を考える上でも意義が大きいと考えられる.
地理教育部門
松本穂高 会員
謎解きストーリーの視点を導入した地理教育の発展と発信による地理教育の普及・発展
松本穂高会員は,茨城県立高等学校の地理担当の教員として教育の実践を行っている.ストーリーに乏しくつまらないと解されがちな地理について,「なぜ」にもとづく謎解きストーリーの視点を導入し,展開してきた点が注目される.その内容は,『自然地理のなぜ!?48』(二宮書店,2016年),『歩いてわかった地球のなぜ!?』(二宮書店,2017年)などに著されている.また,国際地理オリンピック日本委員会の実行委員でもある.「山と地理のページ」というwebサイト(http://yama.world.coocan.jp/index.html)を開設し,地理に関する発信も行っている
学術貢献部門
三上岳彦 会員
現代社会の問題に関わる気候学研究の発展
三上岳彦会員は,長年にわたり,気候学の研究教育に携わってきた.特に,グローバルスケールの気候変動,都市気候,歴史時代の気候の復原など,現代社会の問題に関わるテーマの気候学研究を先導してきた.都市気候については,ヒートアイランド現象などに早くから着目し,東京都の観測網の整備にも主導的な役割を果たした.歴史時代の気候については,気候変動の観点に加えて災害をもたらした台風の解明などにも取り組んでいる.これらの研究において,多くの研究者のリーダーであっただけでなく,後継者の育成にも大きな役割を果たしている.
社会貢献部門
TBSテレビ「世界遺産」制作チーム
世界各地の世界遺産を紹介する番組の制作を通して平易で的確な地理学的知識の普及
世界各地の世界遺産(自然遺産および文化遺産)を,地理学的・歴史学的視点から美しい映像と共に紹介する番組(2008年4月の放送開始以来,基本的に毎週日曜日の18時から放送)の制作にあたり,単なる映像による現地の紹介にとどまらず,地理学関係者を含む専門家に監修を依頼し,例えば地形に関わる内容であれば,その成因に関しても,一般視聴者にも容易に理解が得られるような平易な内容となるよう工夫された解説を加え,地理学的な知識の普及に大いに貢献している.
小泉武栄 会員
山地の自然地理学に関する成果の発信と地理学的観点からジオパーク活動を推進
小泉武栄会員は,山地の地形・植生に関して豊富な研究経験があり,『日本の山はなぜ美しい』(1993年,古今書院)をはじめとして山地の自然地理学研究の成果を分かりやすく伝える著書を多数執筆しているほか,ジオパークの活動にその初期から関わってきた.2008年の日本ジオパーク委員会発足時から2014年3月まで,関係学会・団体の代表ではなく,数少ない独立した学識経験者として委員を務め,現在は同委員会の顧問として,地理学的観点からジオパーク活動の推進に貢献している.