吉野賞受賞記念講演要旨 - 日本地理学会
2022(令和4)年度
安成哲三 (筑波大学名誉教授,名古屋大学名誉教授,総合地球環境学研究所名誉教授,京都気候変動適応センター)
アジアモンスーンと私
私のアジアモンスーンへの関心は,大学院(博士課程)生として参加したヒマラヤの氷河と気候の研究プロジェクト(GEN)から始まった.エベレスト峰(8848m)の麓に設置したGENの観測小屋(標高4420m)を起点に,数年間にわたるヒマラヤ高山域の気象と氷河の調査・研究を行ったが,その中でヒマラヤでのモンスーンの季節内変動に10~20日程度と40日程度の周期をもつ季節内変動があり,その中でも40日周期変動は,赤道インド洋からヒマラヤへ向けて北上するインドモンスーン特有の変動であることを見出した.
1970年代半ば,世界気象機関(WMO)は,夏と冬のアジアモンスーンの季節予報の精度を高めるための国際モンスーン観測研究計画(MONEX)を進めていた.この中で,私の学位論文ともなったモンスーンの約40日周期の季節内変動が注目され,1980年代前半には,モンスーン研究の世界の中心であったインド熱帯気象研究所や米国フロリダ州立大学などに招聘されて研究する機会も得られた.
1982~1983年に発現した大きなエルニーニョ・南方振動(ENSO)は世界的な異常気象をもたらしたが,これを機にENSOの解明と予測に対し世界の気象学・海洋学研究者の関心が高まり,そのための国際共同研究(熱帯海洋・全球大気研究計画:TOGA)が世界気候研究計画(WCRP)の一環として開始された.その中でアジアモンスーンとENSOの関係の解明も大きな課題となった.欧米の多くの研究者は,ENSOの予測ができれば,アジアモンスーンの予測も可能になると考えていたが,私はむしろ大気・海洋・陸面(大陸)の相互作用としてのアジアモンスーンが,ENSOのみならず,グローバルな気候変動に対しても,より積極的な役割をしていることを観測データや気候モデルによる研究をもとに強く主張した.この主張は,世界の多くの研究者は当初懐疑的であったが,次第に注目されるようになった.
しかし,大気・陸面・海洋の相互作用がからむアジアモンスーン変動の理解や予測には,大陸上の水循環や生物圏のプロセスの理解や,熱帯だけではなく,中・高緯度での積雪や土壌水分などの水循環過程の理解も必要であった.そこで,気象学・気候学だけではなく,水循環を扱う水文学や生物圏を扱う生態学の研究者とも共同で進めるアジアモンスーンの国際プロジェクト(GAME)を世界気候研究計画(WCRP)に提案し,国内では地球科学研究を統括する文部省測地学審議会に提案し,1996年にようやく国際・国内で同時に進める大型プロジェクトとして開始できた.6年間にわたり,シベリア,モンゴル,チベット高原を含む中国,東南アジア,インドなど,モンスーンアジア全域での共同観測も行い,大気陸面相互作用とアジアモンスーンの相互関係についてのさまざまな新しい理解が得られた.これらの研究は,その後異動した名古屋大学での文科省21世紀COEプログラム「太陽・地球・生命圏相互作用系の変動学」や,JAMSTEC/NASDA(JAXA)「地球フロンティア研究システム」での共同研究として,さらに展開することができた.
一方で,私は和辻哲郎の『風土』を学生の時に読んで以来,モンスーン気候が水田稲作農業を通してアジアの風土や文化の形成にも深く関わっていることにも,大きな関心を持ち続けていた.大学院修了後に助手として勤めた京都大学東南アジア研究センターでは,モンスーンアジアの稲作とその歴史的展開や自然環境との関係について,活発な学際研究が進められており,私もその末席に参加して多くの刺激を受けることができた.その後赴任した筑波大学では,吉野正敏教授の雲南省や海南島,タクラマカン沙漠での地理学,地生態学研究に参加することができた.名古屋大学では,先の21世紀COEに引き続き,グローバルCOEプログラム「地球学から基礎・臨床環境学への展開」の一環として,モンスーンアジアの風土が「近代化」の過程でどのように変容してきたかなど,文系・理系を含む環境学研究者と議論を進めることができた.2013年から総合地球環境学研究所(地球研)に場を移し,モンスーンアジアにおける風土論の新しい展開や,地球社会の未来可能性におけるモンスーンアジアの重要性についての議論を進めてきた.
これらの私の研究遍歴は,昨年『モンスーンの世界』(中公新書)としてまとめることができた.