下記の通り会長講演を行いますので多数御参加下さい.
1.日 時 3月21日(月)17時~17時45分
2.場 所 早稲田大学14号館第1会場(201教室)
荒井良雄(東京大):交通・通信インフラから見た極東日本のグローバル化
グローバル化が,20世紀末以降の地理学における主要なテーマの一つであることに疑問の余地はないであろう.特に,グローバル化の過程の中でその拠点としての役割を果たすグローバルシティの出現は多くの注目するところとなっている.Saskia Sassenは『The Global City』で,東京は1980年代にグローバルシティとしての地位を得たと指摘しているが,たしかに,グローバル化という点では,ロンドンやニューヨークに比べて東京が遥かに遅れていたのは事実であろう.
しかし,東京に象徴される日本のグローバル化は, 20世紀末に突然始まったのだろうか.日本の近代化の歴史に関する数多くの研究では,明治維新以降,100年以上に渡って,日本の社会・経済の国際化のためにさまざまな努力が重ねられてきたことが指摘されている.もし,日本のグローバル化が20世紀末に始まったのではないならば,それはいつなのだろうか.
歴史を振り返ってみれば,現代につながる意味でのグローバル化の萌芽は,幕末の開国に始まる.日本発着の国際定期航路としては,1854年(安政6年)に中東-インド-中国経由で長崎に至る東廻りルートが完成し,それを利用した国際郵便サービスもほぼ同時にスタートしている.一方,国際電信サービスの開始も意外に早く,1871年(明治4年)に長崎から敷設された海底電信ケーブルによって,中国経由およびシベリア経由で日本-ヨーロッパ間の電信のやり取りが可能になった. これに対して,アメリカから太平洋を渡るルートの開設はむしろ遅く,日米間の太平洋廻り定期航路と郵便サービスの開始は1867年(慶応3年),日米間の電信に至っては,日露戦争終結後,1905年(明治38年)の小笠原-グアム経由の海底ケーブル開通まで待たなければならない.
こうした国際交通・通信の黎明期の状況は,日本のグローバル化の過程を理解するにあたって,きわめて象徴的である.日本の地理的位置は,19世紀ヨーロッパの帝国主義華やかなりし中では,紛れもなく「極東=地の果て」であり,日本から見れば,グローバル化は地球を西廻りで進もうとする営みであった.その後の太平洋を挟んだアメリカとの関係強化は東廻りルートの発達をもたらしたが,西廻りと東廻りの両方向で世界につながろうとする日本の国際交通・通信インフラの特質は長く維持された.
交通・通信インフラに関しては,大正-昭和期に,航空輸送,無線電信,同軸海底ケーブル,衛星通信等,いくつかの画期的な技術革新が見られたが,20世紀末の光海底ケーブルの出現は,それまでとは比較にならないほどの大容量情報の伝達を可能にした点で時代を画するものであった.それは特定地域への情報機能の極度の集中という新たな事態をもたらし,グローバルシティの出現につながった.
本講演では,国際交通と通信というインフラの側面から,こうした日本の国際化/グローバル化の過程を再考してみたい.