2022年度日本地理学会賞受賞者 - 日本地理学会
2022年度日本地理学会賞受賞者
優秀論文部門
吉沢 直 会員「長野県白馬村のスキーリゾートにおけるホスト化した外国人の役割─リゾート発展プロセスにおけるアクターの変遷に着目して」地理学評論、第95巻第1号
1990年を境にスキー客の減少を経験してきた日本のスキーリゾートが, とりわけ2000年代以降のインバウンド観光の追い風を受けて外国人スキー客向けに地域変容しつつある姿を, 長野県白馬村を事例に描いた研究である. その際, 地域変容をうながす重要なアクターとして, 現地で宿泊施設や旅行代理店等を経営する「ホスト化する外国人」の果たす役割に着目するとともに, 村内に存在する各地区のミクロな地域差が「ホスト化する外国人」の表れ方にも影響する様子を実証的に明らかにした点が優れた論文と評価される. また, そのような現象が海外のスキーリゾートと日本とでは異なって表出することも指摘されており, 比較地域研究の点でも重要な観点を提供している. アフターコロナにおいては再びインバウンドが盛んになると考えられるなかで, 日本において外国人がホストとしてどのような役割を果たすかという命題に取り組んだことは, スキーリゾートだけでなくツーリズム全般に示唆を与えるものであると考えられる.
若手奨励部門
岩佐佳哉 会員「1945(昭和20)年枕崎台風と2018(平成30)年7月豪雨に伴う斜面崩壊の分布からみた斜面崩壊の免疫性」地理学評論,第95巻第2号
斜面崩壊が一度発生すると,土層が回復するまでは崩壊が再発しないという「斜面崩壊の免疫性」は,土砂災害や地形変化を理解するうえで重要な研究テーマである. 本研究は,1945年枕崎台風で崩壊した斜面と, 2018年7月豪雨によって崩壊した斜面の分布を重ね合わせることで,広島県沿岸地域における斜面崩壊の特徴と再発可能性を斜面崩壊の免疫性の観点から分析した.空中写真判読を通じた崩壊か所の特定はきわめて地道で膨大な作業が予想されるが,入手可能な資料を用いて過去と現在の斜面崩壊の地理的特徴を詳らかにする手法は,今後の研究への汎用可能性が期待される. また,類似した先行研究よりもはるかに広い範囲で信頼性の高い実証的な結論を得ていることも高く評価される. 斜面崩壊の発生予測という注目度の高い応用課題に寄与し得る本研究は,自然地理学のみならず社会的・学際的にもきわめて重要な成果である.
論文発信部門
有馬貴之 会員「日本における「オリンピック・パラリンピックと観光」の研究―東京2020を契機とした研究視点の導出に向けて―」 GEO 第17巻第1号
本報告は,過去とは大きく異なった状況下で開催されたオリンピック・パラリンピックが,東京や日本の観光空間にどのような影響を与えたのかを論考したものである.日本国内における研究を整理した上で,英語圏の研究と比較し,日本の研究の特徴を示すとともに,オリンピック・パラリンピックと観光の視点を踏まえた観光マーケティングの議論が少ないことなどの課題を示している.持続可能なオリンピックとは何かという命題に対し,一過性のものではなくアカデミックな観点から取り組み国際的な議論への貢献必要性を示したことは,スポーツイベントに対する人文社会学からの研究の必要性を表すものであり,一般社会における注目度が高いと考えられる.
優秀著作部門
松宮邑子 会員『都市に暮らすモンゴル人 ウランバートル・ゲル地区にみる住まい空間』(明石書店,2021年)
本書は,都市「問題」として捉えられがちなウランバートルのゲル地区が形成・拡大・存続してきた過程を,そこに住まう人々や住まいに焦点を当てて論じた著作である.特に,丹念に行われたフィールドワークを基として,実証性が高い論考を展開していること,都市化しているモンゴルの今を鋭く切り取るとともに,他の都市との比較にも耐え得る論考を展開していることが高く評価される.例えば,ハシャー,ゲル,バイシンといった居住空間の物的要素が,個人のライフコースや親族関係,遊牧を生業としてきたモンゴル人の生活と深く結びついていることを豊富なインタビュー調査に基づいて活き活きと描いていることなどである.また,インタビュー調査だけにとどまらず,空中写真・衛星画像の判読,統計資料の分析などもふんだんに組み込まれており,いわば虫瞰的な視点と鳥瞰的な視点を見事に併存させているといえる.こうした点もフィールドワークを重視する隣接の学問分野の中において地理学が持ちうる特性として,本学会賞にふさわしいと考えられる.
著作発信部門
佐野静代 会員『外来植物が変えた江戸時代 里湖・里海の資源と都市消費』(吉川弘文館,2021年)
本書は長年歴史地理学の立場から環境史研究に取り組んできた佐野静代氏による著作で,人の手の加わった自然としての里湖・里海の生態系と都市消費が主題となっている.そこで展開されるのは,「在来型の自然と思われてきた日本の里湖・里海の多くは,外来植物の導入に伴って近世後期に確立された」というストーリーであり,各章の事例を通じて里湖・里海で採られた水産肥料の多くが木綿やサトウキビなどの近世の外来植物栽培に向けられたことが活写される.例えば,琵琶湖の事例からは水草施肥を軸に商品作物栽培の導入や山地荒廃,都市の消費の影響が一つのストーリーとして展開する.同様に八郎潟や浜名湖,瀬戸内海や奄美など日本各地の事例においてもそれぞれのエッセンスがわかりやすく散りばめられている.このように平易な文章とわかりやすい事例研究から,かつて私たちの身近にあった人の手の加わった自然,特に水辺におけるそれに対する具体像を明らかにするということだけにとどまらず,自然環境の改変や都市消費の影響,さらには外来種をどう捉えるかなど今日に通じる問題をも考えさせる本書は,地理学関係の啓発的図書という著作発信部門の観点から高く評価できる.
地理教育部門
池下 誠 会員地理教育者としての優れた授業実践,とくにフィールドワーク普及への多大な貢献
池下 誠氏は,長年にわたり中学校の教諭を務め,地理教育の実践において指導的な役割を果たしてきた.文部科学省の『中学校学習指導要領(平成29年告示)解説社会編』の作成協力者,ESD(持続可能な開発のための教育)研究の実践協力者を務めている.また,氏は自らの授業実践例を著作やビデオで積極的に公開している.特にNHKで放映,配信された10min.ボックスは,全国の教育現場で広く活用されている.氏の教育実践で特筆すべき点は,フィールドワーク普及への多大な貢献である.現在は全国中学校生徒地域研究発表会(フィールドワーク・イン・ジャパン,FIJ)の副会長として,その活動に積極的に関わっている.さらに氏は,日本地理学会でも長年にわたり地理教育専門委員を務めてきた.委員会では,高等学校の地理必修化に向け,現職教員の立場からさまざまな取り組みを行ってきた.こうした地理教育実践者としての氏の活動は,日本地理学会賞にふさわしいといえる.
学術貢献部門
該当なし社会貢献部門
古橋大地 氏災害時の迅速な市民参加型地図の提供などによる防災への多大な貢献
古橋大地氏は,2008年から,日本におけるOpenStreetMapの活動を主導し,地図データのオープン化を行い,3D地図の整備や普及に貢献してきた.さらに,Crisis MapやDrone Birdの活動を主宰し,災害時の迅速な市民参加型地図の提供,ドローンを使った地図作成の活動を行っている.特に熱海の土石流災害時には,静岡県の関係者との協働により,点群サポートチームボランティアを迅速に立ち上げ,ドローン画像を元に,ブラウザ上で展開できる地図画像を発災2日後に公開した.これは,平時から様々なネットワークを作っていた点,発災後すぐにチームを組織して動かす機動性の高さの点で比類のないものである.同様の活動は,ウクライナでの地図提供支援にも繋がっており,このような迅速な,また社会的要請度の高い活動を行なっていることは,社会貢献という点で地理学会賞にふさわしいと考える.