吉野賞受賞記念講演要旨 - 日本地理学会

2021(令和3)年度

大村 纂(スイス連邦工科大学(ETH)名誉教授)

熱収支気候学の発展と応用

熱収支気候学は19世紀後半のエネルギー保存則追求の中で生まれ,20世紀に大いに発展し,現在の諸気候現象の理解に必要な根本の知識体系をなす.根本的には太陽放射の過剰な低緯度から,不足の高緯度へエネルギーが運ばれる過程で生じる現象を理解することを目的とする.その間に,温度と降水の過程に重点が置かれる.特に20世紀中盤になされた米合衆国のJulius Londonとソ連邦のMichael I. Budykoによる全球の熱収支学への貢献は大きい.熱収支は大気の上限,地表面そして大気に関して扱うのが便利である.大気上限の熱収支は1960年代の衛星からの観測以来目覚ましい発展をした.地球表面ではエネルギー変換の最も活発な諸過程が起こり,また土地利用の複雑さもあって観測と計算の両方を取り入れて,今日に至っている.

熱収支の諸過程を正しく理解するには,その量的な正確さが重要になる.計算と観測の正確さを検証するには極めて精度の高い観測に寄らねばならない.気候学の場合,その高精度の観測は気候現象に見合う長期間になる事が要求される.また,地表面を代表する多くの気候帯での観測も必要になる.こうした構想のもとに,私はGlobal Energy Balance Archive (GEBA) とBaseline Surface Radiation Network (BSRN) というプロジェクトを1980年代にWorld Climate Research Programme (WCRP)の中で始めた.また,グリーンランドのように今までこうした観測が行われず,また近い将来にも見込みの少ない地域では,自らの観測計画(ETH Greenland Research Project)を作り,実施してきた.こうしたプロジェクトの中から,現在Missing Absorption, Missing EmissionそしてGlobal Dimming & Brighteningと呼ばれる諸現象が発見されてきた.こうした新現象の提唱にはいつも受け入れられることの困難さが伴うものである.新現象の学界での受け入れには現象の発見だけでなく,その現象の成因に関する研究と高い精度の長期にわたる観測実績が必要となる.こうした諸現象の発見と成因の追及は気候モデルの開発にも大きく貢献してきた.また,熱収支の出発点である太陽常数(Total Solar Irradiance, TSI)の過去の変化の再現に関する研究計画も受け入れられ,実施の近くまで漕ぎ着けている.

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