吉野賞受賞候補者選考委員会答申 - 日本地理学会

2023(令和5)年度

松本 淳(東京都立大学名誉教授・客員教授・プレミアムカレッジ特任教授,横浜国立大学総合学術高等研究院台風科学技術研究センター客員教授,海洋研究開発研究機構招聘上席研究員)

Matthias Roth(シンガポール国立大学教授)

吉野賞受賞候補者選考委員会委員長 安成 哲三

日本地理学会2023年度吉野賞受賞候補者選考委員会は,慎重な審査の結果、地理学的気候学と気象学的気候学にまたがった国際共同研究を推進することにより、アジアモンスーン気候の地域からグローバルレベルにおける包括的理解について、多大な成果を出してきた、東京都立大学名誉教授・客員教授・大学教育センタープレミアムカレッジ特任教授の松本 淳博士、また、熱帯地域の都市気候の特徴および都市キャノピー層内の乱流特性を明らかにすることによって都市気候学文やの新たな発展を進め、都市気候学の国際研究コミュニティに多大な貢献をしてきた、シンガポール国立大学(NUS)教授のMatthias Roth博士の2名を日本地理学会2023年度日本地理学会吉野賞受賞候補者に選考した.

選考理由

松本博士は1957年生まれである.1980年に東京大学理学部を卒業,同大学大学院理学系研究科地理学専攻に進学し,1983年に博士課程を中退し,東京大学理学部の助手として採用された.博士(理学)の学位は1992年に東京大学から取得している.1993年には講師に,1994年に助教授に昇任している.2006年に首都大学東京大学院都市環境科学研究科の教授として異動し,定年となった2023年には東京都立大学の名誉教授・客員教授となるとともに,同大学プレミアムカレッジ特任教授,横浜国立大学総合学術高等研究院台風科学技術研究センター客員教授に就任し現在に至っている.この間2005年から現在まで海洋研究開発機構水循環観測研究プログラムのグループリーダー・招聘上席研究員を兼任している.2015年〜2022年はアメリカ合衆国アイオワ州立大学地質学大気科学教室客員教授も併任した.

松本博士は,自然地理学の一分野としての気候学と,地球物理学に分類される気象学の一分野としての気候学の融合を通して,国際的に卓越した顕著な研究成果をあげてきた.多数の査読付き論文のなかでも,特に,両半球と全季節を視野に入れ,人工衛星等のデータを駆使した雲や降水量の分布からモンスーン現象を再定義する論文は世界的に高く評価されている.さらに,東アジアから東南アジアの各地域固有の気候諸現象に着目したユニークなモンスーン気候の特質を,雨季の地域性,季節内変動のメカニズム,経年変動の実態と仕組みを解明した研究を通してアジアモンスーンの複雑多様な地域性を明らかにしている.

特筆すべきは,これらの研究を進める過程で,以下に述べるように,アジアモンスーン気候の理解を深化させる国際共同研究を研究分野の壁を超えて主導して多くの研究業績を上げるとともに,アジア諸国の多くの若手研究者と研究コミュニティを育成したことである.

松本博士はまず,1995年に開始されたアジアモンスーンエネルギー・水循環研究観測計画(GAME)に主導的研究者として参画し,特に東南アジアにおける詳細なモンスーン気候像の研究を国際共同研究として推進し,その成果は松本博士の編集により2002年に刊行された気象研究ノート(日本気象学会)第202号「東南アジアのモンスーン気候学」に結実している.その後,松本博士は,2006年よりGAMEの後継となるモンスーンアジア水文気候研究計画(MAHASRI)を立ち上げるとともに,2012年まで議長として国際・国内の共同研究を牽引してきた.中でも,欧米とアジア各国のアジアモンスーン研究のグループと協働連携して,国際共同観測計画「アジアモンスーン年(AMY)」を推進してアジアモンスーンの理解と予測へ向けた研究を飛躍的に進めた功績は特筆すべきである.

さらに松本博士は,統合地球水循環強化観測期間プロジェクト(CEOP)Inter-Monsoon Studyの共同議長,GEWEX国際科学推進委員会(SSG)委員,地球システム科学パートナーシップ(ESSP)モンスーンアジア統合地域研究(MAIRS)副議長,世界気象研究計画(WWRP)モンスーンパネル委員などを歴任して,世界気候研究計画(WCRP)や世界気象研究計画におけるアジアモンスーン研究を推進すると同時に,アジアの発展途上国での若手研究者の育成にも積極的に係わってきた.

地理学分野では,吉野正敏先生によって設立された国際地理学会(IGU)の気候学委員会において,松本博士は日本人としては吉野先生以来二人目となる委員長を務めている.さらに最近数年での重要な活動としては, 気候変動のメカニズムや気候予測には欠かせない過去の気候データレスキューを国内外で先導してきたことである.2018年には,気候・気象データレスキュー活動の国際プログラムACRE(Atmospheric Circulation Reconstruction over the Earth) の国際会議を日本に招致するとともに,日本におけるデータレスキューの研究センターであるACRE Japan を設立し,気候変動の歴史的復元の学際的共同研究のネットワークの構築を通して,新たな成果を生み出している.

以上のように,松本博士は,いくつかの国際共同研究などを通した包括的なデータの収集と解析に基づき,アジアモンスーンを地域からグローバルまでを有機的に結合させて研究することにより,アジアモンスーン研究の新たな展開に大きく貢献した.同時に,これらの国際共同研究を通して次世代研究者・研究コミュニティをアジア各国に育成することに尽力し,各国政府・研究機関や大学等からも高く評価されている.さらに,これらの研究に必要な気候・気象データの収集とレスキューにも大きく貢献してきた.

このような顕著な業績をあげてきた松本淳博士の研究は,吉野正敏先生の気候学研究を発展的に引き継ぐものであり,これらの研究実績に鑑み,松本淳博士を日本地理学会2023年度吉野賞受賞候補者として選考した.

選考理由

Roth博士は1960年生まれである.1985年にスイス連邦工科大学(ETH)を卒業した後,カナダ・ブリティッシュコロンビア大学(UBC)大学院地理学教室に進学してT. R. Oke教授に師事して都市気候の研究に着手した.1988年に修士号を取得し,1991年に博士号を取得した.その後,我が国の国立環境研究所や九州大学応用力学研究所などでも研究を行った.1996年から2001年までの間,UBCでResearch Associate/Adjunct Professorとして主に都市境界層乱流の研究を行った後, NUSのDepartment of Geographyに異動し,2001年から2018年までの間はAssistant Professor,2018年以降はProfessorとして,主に熱帯の都市気候の研究を行い,現在に至っている.

Roth博士は,衛星リモートセンシングデータの解析により都市表面温度の特徴を明らかにしてきた.さらには,現地観測により都市キャノピー層内の乱流特性を明らかにすると共に,熱帯地域の都市気候研究や都市境界層乱流研究の成果をまとめて,都市気候学分野の新しい発展に多大な貢献をしてきた.

まずRoth博士の初期の大きな研究業績は, 地上での観測と衛星からの観測による地表面温度から見たヒートアイランド強度および都市の大気境界層乱流の特徴の包括的理解であった.すなわち,衛星データから解析されるヒートアイランド強度は,日中および暖候季に大きいのに対し,夜間のヒートアイランド強度および衛星から見た都市表面の輝度温度と土地利用の相関関係は弱いことを示し,地上気温で定義されるヒートアイランド強度と衛星データからの地表面温度で定義されるヒートアイランド強度の日変化・季節変化特性は,逆の特徴を示すことを指摘した.この研究成果は,ヒートアイランド解析と都市気候モデル作成における衛星データの解釈と限界に関していくつかの重要な問題を提起し,日本地理学会の1992年秋季学術大会シンポジウム「都市気候・緑地・アメニティ-都市環境の現在と未来-」においても強く注目され,都市気候への衛星熱画像の利用に際して大変慎重な対応がとられる契機となった.また,この研究は都市気候学の世界の第一人者であるOke博士が都市ヒートアイランド(UHI)を,境界層UHI,キャノピー層UHI,地表面UHI,地下UHIに4区分する契機ともなった.

Roth博士の国際的に知られた成果の一つに,アメリカやカナダの諸都市で実施した都市境界層乱流に関する観測的研究と,それらをまとめたレビューがある.この研究では,Roth博士は都市では熱や運動量は郊外に比べてより効率的に乱流輸送されることを観測によって示した.また,Oke博士との共同研究では,同じスカラー量であっても,熱と水蒸気では乱流輸送の振る舞いが異なることを示した.これらの成果は,都市域での乱流の基本的な振る舞いを観測によって明らかにしたものであり,その後の都市接地層内での普遍関数や乱流観測手法の修正などにつながった.Roth博士は,その後,都市境界層乱流に関する当時の研究成果をまとめ,2000年にレビュー論文として発表することで,世界の都市境界層研究の発展に大きく貢献した.

Roth博士は,NUS赴任後,当時まだ十分に知られていなかった熱帯地域の都市気候の基本的な特徴を,同僚のWinston Chow博士らと共同で調査している.さらには,熱帯地域での都市気候を対象とした研究成果をまとめ,2007年にレビュー論文として発表することで,中緯度中心だった都市気候研究の熱帯地域への拡張に大きく貢献した.最近は,熱帯都市での人工排熱の推定や,熱帯都市域でのエネルギーとCO2フラックス測定などを行っており,都市気候学者の立場から気候変動研究分野にも貢献している.また,国際的な指標として使われ始めているLocal Climate Zone(LCZ)の熱帯都市での有効性や,熱帯都市におけるLCZと熱環境の関係に関する研究でも新しい成果を出し, 都市のヒートアイランド化に関する研究でも国際的に大きな貢献をしてきた.

Roth博士は,2007年~2009年には国際都市気候学会(IAUC)の第3代会長として,国際学会をリードした.同会長任期中には,横浜で開催された第7回国際都市気候会議(ICUC-7)の実行委員会を学会本部からサポートし,この大会の成功に貢献した.また,International Journal of Climatologyなどの気候学の国際的な雑誌の編集委員を歴任するなどして,気候学界全体にも貢献してきた.
Roth博士は,上記に述べたように,吉野正敏先生も早くから注目していたにも関わらず、進展が遅れていた熱帯地域での都市気候研究に新たなページを開くとともに,衛星データと地上観測データを合わせて行った数々の先駆的なヒートアイランドや都市大気の乱流特性の研究により,都市気候学の新しい発展に大きく寄与している.都市気候学の国際研究コミュニティに対しても、IAUC会長を務めるなど,卓越した貢献をしてきた.

このような顕著な業績をあげてきたMatthias Roth博士の都市気候学分野における研究は,吉野正敏先生の都市気候学を発展的に引き継ぐものであり,これらの研究実績に鑑み,Matthias Roth博士を日本地理学会2023年度吉野賞受賞候補者として選考した.

2022(令和4)年度

安成哲三(筑波大学名誉教授,名古屋大学名誉教授,総合地球環境学研究所名誉教授,京都気候変動適応センター)

吉野賞受賞候補者選考委員会委員長 中川 清隆

吉野賞は日本地理学会が故 吉野正敏 筑波大学名誉教授を顕彰して新たに創設した地理的気候学分野の学術賞である.本委員会は10名の委員で構成され,そこでの慎重な審査の結果,ヒマラヤの氷河地域での現地気象観測を出発点とし,多様なデータ解析と数値モデルによる研究と現地観測を主体とした国際研究プロジェクトの推進により,アジアモンスーンの気候と水循環研究ならびに人間活動を含む地球環境研究に,多大な貢献をしてきた,筑波大学・名古屋大学名誉教授,総合地球環境学研究所顧問・名誉教授,京都気候変動適応センター長である安成哲三博士を,2022年度日本地理学会吉野賞受賞候補者に選考した.

選考理由

安成教授は1947年生まれで,1971年に京都大学理学部を卒業して同大学大学院理学研究科に進学し,1977年に博士課程を修了後同大学東南アジア研究センターに助手として就職した.1981年に京都大学より理学博士の学位を取得して,1982年に筑波大学地球科学系講師として異動した.1990年に助教授に昇任し,1992年に定年退官された吉野正敏教授の後任として教授に就任した.2002年に名古屋大学地球水循環研究センター教授として異動し,2003年に筑波大学名誉教授となった.2008年からは名古屋大学地球生命圏研究機構長を兼任,定年となった2012年には同大学名誉教授・特任教授となった.2013年に総合地球環境学研究所所長,2021年に同研究所顧問・名誉教授,京都気候変動適応センター長となって現在に至っている.この間1997年~2009年には地球フロンティア研究システム水循環予測研究領域長,1999年~2005年には地球観測フロンティア研究システム水循環観測研究領域長を兼任した他,東京大学等でも教授を併任した.また2008年~2020年には日本学術会議会員・連携会員,2013年~2020年には同Future Earthの推進と連携に関する委員会委員長を務めた.

安成教授は,アジアモンスーンの気候学分野で,京都大学・筑波大学・名古屋大学・地球フロンティア・地球観測フロンティアや主導した国際共同研究等において,現地気象観測から気象衛星観測や再解析データ等の解析,気候モデルを利用した研究により,大きな成果を上げてきた.また総合地球環境学研究所長として,地球環境学分野でも大きな成果を上げてきた.安成教授の研究・調査の優れた成果は,引用回数の多い査読付き論文や著書等々として公表されている.

安成教授は,中・高時代に山岳部,京都大学では山岳部・探検部に所属し,学部3年生の時にパタゴニアに行くなど,地理学に欠かせない国際的現場感覚を,若くして獲得した.さらに大学院博士課程の時に参加したヒマラヤの氷河とその変動の調査では,降水現象や雲の動きなどにみられるヒマラヤの四季を通算2年近く観測点で体験し,モンスーン気候学の端緒を掴むと共に,大気圏と雪氷圏の相互作用という,後の多圏相互作用研究への糸口をも掴んだ.その後に気象衛星による毎日の雲画像の時空間分布を解析することにより,数十日周期のインドモンスーンの季節内変動が,数千キロメートルの空間規模で東進・北進する構造をもつことを解明し,モンスーン研究の世界的主要課題の発見者の一人となった.その後は,世界の大気・海洋・陸面結合システム変動の中でのアジアモンスーンの役割の解明や,アジアモンスーン自体が地球システム内でどのようにして維持されているかについても解明してきた.1980年代はENSOに伴うアジアモンスーンへの影響について議論されていたが,安成教授は1990年代の初頭にアジアモンスーンが太平洋の気候に与える能動的な影響を初めて示し,2010年代に広く認識されるようになった海盆間の双方向フィードバックの先駆的研究として再評価されている.

安成教授は,世界気候研究計画(WCRP)の一環として1988年に開始されたGEWEX(Global Energy and Water cycle Experiment,現在はGlobal Energy and Water Exchanges program)の地域研究プロジェクトとして,GEWEX Asian Monsoon Experiment(GAME)国際研究プロジェクトの代表を務め,アジア各国の研究者との連携のもとで学際的研究を推進した.その後は自然と人間とにまたがる総合地球環境学研究所の所長や,地球環境研究の国際共同研究事業「Future Earth」の国際科学委員会の委員としても活躍した.さらに気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次・第6次評価報告書でも査読編集者を務めるなど,国際的にきわめて大きな活躍をしてきた.自然だけではなく人間の営みも合わせたものに向けられた視点には,筑波大学で10年間を共に過ごした吉野先生とも重なり合う学際的地球観がみうけられる.

安成教授は,筑波大学・名古屋大学および併任した地球フロンティア・地球観測フロンティア研究システム等において,現在各地で活躍している多数の人材を養成した.多くの外部資金を獲得して,次世代の研究者に現地経験を積ませ,将来の国際的研究への橋渡しをするなど,人材育成の面における安成教授の貢献も極めて高く評価される.また,現地研究者と共に取り組んできた国際共同研究の姿勢は相手国でも高く評価され,2018年上梓の『地球気候学』は35億年前~15億年後を俯瞰する新しい気候学の教科書として注目され中国語や英語への翻訳が進んでいる.

安成教授は,上記のようなアジアモンスーンにおける気候学研究を,観測に基づく小気候から広域的なデータ解析・気候モデルを駆使した研究として推進し,さらに地球の人間活動を含む気候システムにおける多圏相互作用に関して,世界的業績を挙げてきた.また,教育および社会貢献においても卓越した貢献をしてきた.以上の地理的気候学分野に於ける実績に鑑み,安成哲三教授を2022年度日本地理学会吉野賞受賞候補者として選考した.

2021(令和3)年度

大村 纂(スイス連邦工科大学(ETH)名誉教授)

吉野賞受賞候補者選考委員会委員長 中川 清隆

吉野賞は日本地理学会が故 吉野正敏 筑波大学名誉教授を顕彰して新たに創設した地理的気候学分野の学術賞である.本委員会は10名の委員で構成され,そこでの慎重な審査の結果,実測および再現計算された地球のエネルギー収支に基づき,放射収支・熱収支気候学とそれに基礎を置く気候変動研究に多大な貢献をした,スイス連邦工科大学 (ETH)名誉教授で国立極地研究所顧問の大村 纂 名誉教授を,2021年度吉野賞受賞候補者に選考した.

選考理由

大村教授は1942 年生まれで,1965 年に東京大学理学部地学科地理学課程を卒業して同大学大学院理学系研究科に進学の後,1966年にカナダ・マギル大学大学院に移り北極圏の気候研究に着手し,1969年にM.Sc.の学位を取得して同大学にResearch assistant として就職した.1970 年にスイス連邦工科大学(ETH)に異動し,1972年にAssistant に昇任,1980 年にDr.sc.nat.の学位を取得してSenior assistant に昇任した.1983 年にETH の教授に就任し,2007年に同名誉教授となり現在に至っている.この間,東京大学,名古屋大学,国立極地研究所,ケンブリッジ大学,インスブルック大学等々で教授を併任し,2013年には国立極地研究所顧問に就任した.また2005年~2009年の間,国際雪氷学会長を務めた.

大村教授は,長くETH の自然地理学教室を主宰し,放射収支・熱収支気候学とそれに基礎を置く気候変動の分野で大きな成果を上げてきた.大村教授は,実験式による計算に基づいていたBudyko による地表面熱収支研究を,実測された高精度観測値に基づいて現代化することを目指し,それを成し遂げた.大村教授の研究・調査の優れた成果は,被引用回数の多い査読付き論文や,査読付き著書,そして査読付き組織的フィールド調査・研究等々として公表されている.

まず,大村教授は,北極圏のさまざまな地域の気候と熱収支を解明した.とりわけ,夏季のツンドラが北極海海氷や氷河に比べて湿潤温暖である原因がアルベドの相違による潜熱フラックスの相違に起因していることを明らかにした功績は高く評価される.採られた研究手法は,「現地での観測の傍ら世界各地における研究結果を可能な限り多く集めてそれを比較検討し法則性を見出す」吉野教授の方法論と通底するところがある.

続いて,大村教授は,世界の氷河上の放射収支・熱収支観測結果に基づいて氷河の涵養域と消耗域の境界となる均衡線を明らかにし,氷河均衡線と気候の関係を解明した.これらは,小気候学や雪氷学における重要な成果であるとともに,北極圏全域ひいては全球規模の気候変動の研究に対して多大な貢献を成すものと高く評価される.

さらに大村教授は,GEBA(全球熱収支アーカイブ) ,WCRP のBSRN(国際基準地上放射観測網)およびGCOS(全球気候観測システム)の創始者となり,その成果に基づく気候変動研究を遂行するとともに,長期にわたりこれらを運用して世界の研究者に情報を提供し続け,地球気候研究の発展に多大な貢献をした.GEBA とBSRN を結びつけながら観測に基づく放射収支・熱収支気候学をリードしてきた功績は,世界の気候研究への貢献としてきわめて大きいものがある.

大村教授は,現在も自らが主導した熱収支データベースに基づき,地球規模水文循環と10年スケール変動にも多大な貢献を続けている.前者では,地球温暖化で地球規模水文循環が強化されているはずなのに実測されるPAN 蒸発量に減少傾向が認められるという”Evaporation paradox”問題を整理して,陸面の蒸発と海面の蒸発を区分することや,観測地点周辺の環境場による熱収支の相違の効果や気温日変化と水蒸気水平移流の関係を考慮すること等,将来への貴重な指針を示した.また後者では,世界各地における全天日射の観測結果に10年スケールの変動を見出すとともにその原因が人為的エアロゾルにあることを究明した.現在,温室効果ガスの増加に伴う地球温暖化の議論が盛んであるが,これに人為的エアロゾルに起因する地球規模の日射量の増減も大きく影響を与えていることを明確に示した.

大村教授は,ETH および併任した多数の大学等において,現在各地で活躍している多数の人材を養成した.我が国の気候学・気象学界からも多数の研究者が,ETH に留学等して大村教授の薫陶を受けたり支援を受けたりした.人材育成の面における大村教授の貢献も極めて高く評価される.

大村教授は,上記のような放射収支・熱収支気候学的研究を,観測に基づく小気候からグローバル気候,さらに気候変化に至る研究として推進し,世界的業績を挙げた.また,教育および社会貢献においても卓越した貢献をした.以上の地理的気候学分野に於ける実績に鑑み,大村 纂教授を日本地理学会2021 年度吉野賞受賞候補者として選考した.

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