地理学評論 Vol. 94, No. 4 2021年 7月 - 日本地理学会

●――論 説
木曽三川・庄内川および矢作川流域における堆積土砂量に基づく完新世中期以降の侵食速度
 羽佐田紘大・187‒210

沖縄・多良間島における肉用牛繁殖経営群の動態
  ── 2000 年と2017 年の農家経営の追跡調査から── 大呂興平・211‒233

 

●――短 報
東京都における精神科病院長期在院者の「地域移行」の特性と課題
   ── M. セールのエクスティテューション概念を援用して── 三浦尚子・234‒249

トレンチ調査による阿蘇外輪山北西域の的石牧場I 断層の変位の累積性の検討
 佐藤 浩・小村慶太朗・宇根 寛・中埜貴元・八木浩司・250‒264

 

●――書 評
マザリーヌ図書館・サンドル出版社: 野外の地理学者 アルベール・ドゥマンジョン(1872‒1940)
 (遠城明雄)・265‒266

加賀美雅弘: 食で読み解くヨーロッパ─地理研究の現場から(野中健一)・267‒268

吉越昭久: 近世福山城下町の歴史災害(久保純子)・269‒270

筒井一伸編: 田園回帰がひらく新しい都市農山村関係(西野寿章)・271‒272

H. J. レンスキー著,井谷惠子・井谷聡子監訳: オリンピックという名の虚構
 ─政治・教育・ジェンダーの視点から(成瀬 厚)・273‒274

 

地理学関係博士論文要旨(2020 年度)・275‒280

学界消息・281‒283

日本地理学会春季学術大会および春季代議員会記録・284‒287

会  告・表紙2, 3 および288‒290

 2021年日本地理学会秋季学術大会(オンライン)のお知らせ・表紙2, 3

論説

木曽三川・庄内川および矢作川流域における堆積土砂量に基づく完新世中期以降の侵食速度

羽佐田紘大
法政大学

濃尾平野,矢作川下流低地の堆積土砂量を基に,木曽三川・庄内川および矢作川流域における完新世中期以降の侵食速度を1,000年ごとに求めた.過去6,000年間の侵食速度は,木曽三川・庄内川流域で0.29~0.55 mm/yr, 矢作川流域で0.15~0.29 mm/yrと算出された.流域の平均傾斜から推定した侵食速度は,それぞれ0.45, 0.16 mm/yr, また,体積計算範囲外側の土砂堆積を考慮した侵食速度は,それぞれ0.37~0.64, 0.26~0.48 mm/yrとなった.これらの値には桁が異なるほどの違いはないことから,低地の堆積土砂量から流域の長期的な侵食速度の傾向をある程度見出すことが可能であると指摘できる.ただし,矢作川流域の各侵食速度の差については,三河湾の土砂堆積の過大評価や山地に分布する花崗岩類の崩壊のしやすさが影響した可能性がある.体積計算範囲外側における土砂堆積の考慮の有無にかかわらず,両流域の侵食速度は1,000年前以降が最大であった.これは流域での森林伐採などの影響によると考えられる.

キーワード:侵食速度,堆積土砂量,傾斜,GIS,沖積低地

(地理学評論 94-4 187-210 2021)

 

論説

沖縄・多良間島における肉用牛繁殖経営群の動態──2000年と2017年の農家経営の追跡調査から──

大呂興平
大分大学経済学部

沖縄離島部の数少ない有望な農業部門として期待される肉用牛繁殖部門は,2000年代後半以降,停滞している.本稿では,多良間島における各農家の追跡調査を通じて,2000年以降の農家経営と肉用牛繁殖経営の技術的特徴の変化を分析することで,肉用牛繁殖経営群の動態を明らかにした.多良間島では農家の世代交代とともに,サトウキビと肉用牛の小規模経営を組み合わせた労働多投的な精農層が大量引退し,また,経験的技術に支えられた放牧主体の大規模経営も消滅した.これらに代わり,子牛価格の上昇を背景に,粗飼料生産を委託した労働節約的な小規模経営,近代的な施設を装備した中規模経営,採草主体の大規模経営が成立している.特に中規模経営は一般の農家にも単独で生計を立てることを可能にし,継続的な技術蓄積や再投資を誘発している.肉用牛繁殖経営は多良間島の壮年層の幅広い受け皿となっており,今後は産業の規模を維持ないし成長させる可能性が高い.

キーワード:肉用牛繁殖経営,適応的技術変化,経営群の変動,沖縄,多良間島

(地理学評論 94-4 211-233 2021)

短報

東京都における精神科病院長期在院者の「地域移行」の特性と課題——M. セールのエクスティテューション概念を援用して——

三浦尚子
立教大学・非常勤講師

本稿は日本の精神医療改革の新たな理念となる「地域移行」を,M.セールのエクスティテューションextitutionという施設/制度の対置概念を用いて,病院施設/医療制度の「内」と「外」を組み合わせて考察するものである.「地域移行」とは,長期在院者が相談員などの病院外の制度に帰属する者と共に,「閉鎖性」の病棟から「開放性」の病棟,病院近隣,前住地へと向かう多元的なプロセスであり,長期在院者は外の日常世界に慣れることでトラウマを軽減させ,人間としての尊厳を回復させている.ただし,「地域移行」は実際のところ行きつ戻りつの進捗で,国が想定する支援期間よりも時日を要するものであった.「地域移行」に参与する相談員の不足,基礎自治体ごとに異なる対応に加え,精神科病院の偏在とそれを活用した「転院システム」が存在する東京都では,長期在院者や相談員らの努力と偶有的な状況に依拠することで「地域移行」の実現が可能となっている.

キーワード:精神科病院,在院者,地域移行,エクスティテューション,東京都

(地理学評論 94-4 234-249 2021)

短報

トレンチ調査による阿蘇外輪山北西域の的石牧場I断層の変位の累積性の検討

佐藤 浩・小村慶太朗**・宇根 寛***・中埜貴元****・八木浩司****
日本大学文理学部**電力中央研究所***お茶の水女子大学研究協力員****国土地理院*****山形大学地域教育文化学部

阿蘇外輪山北西域における的石牧場I断層の上下の断層変位の累積性を,トレンチ調査から明らかにした.本断層周辺では,2016年熊本地震の余震活動は顕著でない.本断層の断層崖は,人工衛星(ALOS-2)データから判明した,本地震に誘発された受動的な上下変位と重複し,その変位は最大で15 cmと見積もられている.本地震に伴う変位の明瞭な痕跡はトレンチ壁面では認められなかったが,3,430–2,890 cal BPと2,810 cal BP以降に最大50 cm変位した複数のイベントが累積的に生じた可能性がある.この断層崖は,固有地震のイベントまたは周辺の断層運動に誘発された受動的なイベントの繰り返しによって形成されたものと考えられる.固有地震だけでなく受動的な上下変位も断層崖の形成に寄与しているとすれば,断層崖が固有地震の繰り返しで形成されたことを前提とする固有地震の再来周期の見積もりにも影響を与えると考えられる.

キーワード:2016(平成28)年熊本地震,トレンチ調査,的石牧場I断層,ALOS-2,受動的な変位

(地理学評論 94-4 250-264 2021)